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目黒川とミュシャ展



雪・・・・いえ、桜です
川の中央にカモが・・・・・お花見しているようです
赤い橋はなかのはし
目黒橋からの眺め
夜桜もいいでしょうね!!
ほうらいばしから中目黒駅を見る

ミュシャ展

パリの夢 モラヴィアの祈り



 

ミュシャ展    パリの夢 モラヴィアの祈り(日本テレビ開局60年特別美術展)
             森アーツセンターギャラリー13年3月9日〜5月19日


オーストリア帝国領モラヴィアのイヴァンチツに生まれた。ブルノ中学校に入り教会の聖歌隊となった。夏休みに合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とした。中学校を中退、地方裁判所で働く。19歳でウィーンに行き舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通う。2年後失業。1883年ミクロフでクーエン・ブラシ伯爵に会い、その弟のエゴン伯爵がパトロンとなる。25歳のときエゴン伯爵の援助でミュンヘン美術院に入学、卒業し、28歳のときパリにてアカデー・ジュリアンに通う。

彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターである。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ」がフランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなった。その後もミュシャは「椿姫」、「メディア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作している。

サラ・ベルナールの他、煙草用巻紙(JOB社)、シャンパン(モエ・エ・シャンドン社)、自転車(ウェイバリー自転車)などの多くのポスターの制作をおこなっている。これらは女性と様式化された装飾の組み合わせが特徴的である。ポスターに並び、装飾パネルも数多く手がけている。2点ないし4点のセットの連作が多く、いずれも女性の姿を用いて様々な寓意を表現している。


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